天皇と「君が代」から学ぶ、日本という国の尊さ―
聖書は、私たちの生き方において、神に対してだけでなく、社会や権威ある者たちに対する敬意についても教えています。
「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」
― ペテロの手紙 第一 2章17節(新改訳2017)
私たちが暮らす日本という国は、世界で最も長く続いてきた王朝国家です。
日本の建国は、紀元前660年とされており、奈良県の橿原(かしはら)神宮にて、初代・神武天皇が即位されたと伝えられています。西暦2025年の今年で、その歴史は2685年を数えることになります。
「天皇」という称号が正式に使われるようになったのは後の時代ですが、古代神話においては、**天照大神(あまてらすおおみかみ)**が高天原から地上を治めるために孫・**邇邇芸命(ににぎのみこと)を送り、その子孫である神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)**が後に「神武天皇」と名付けられ、国の基礎が築かれたとされています。
国を治める「皇」の存在が定まると、民の心を一つにする象徴として、国歌や国旗といった要素も必要になります。
日本の国歌「君が代」の意味
日本の国歌「君が代」は、実に美しい内容を持っています。
「君が代は、
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで」
この歌は、「君(天皇)の御代が、千代も八千代も続きますように」、すなわち永遠の平和と安定を祈る歌です。
「さざれ石」とは小さな石のことですが、それが固まり、大きな岩(巌)になり、その岩に苔が生えるまで……つまり悠久の時を経ても続く繁栄と安寧を願う言葉です。
多くの国の国歌が「戦争の勝利」や「革命の達成」など、自国の力を讃える内容であるのに対し、「君が代」は、他者の繁栄といのちを祝福する祈りの歌なのです。
この点で、「王よ、永遠に生きられますように」といった**聖書の表現(ダニエル書2:4、3:9、6:6など)**とよく似た精神を持っています。
これは単なる賛美ではなく、国家と指導者の安寧を願う祈りの言葉であり、神の秩序を敬う心が込められています。
日の丸と「日の上る国」
日本の国旗「日の丸」は、太陽を象徴しています。
日本は地理的に東の端にあり、諸外国からは「日の上る国」とも呼ばれてきました。
聖書にはこうあります。
「それは、日の上る方から、西の方まで、人々がわたしのほかにはないことを知るためである。」
― イザヤ書 45章6節
「わたしはあなたを尊いとし、あなたを愛している。」
― イザヤ書 43章4節
このように、「日の上る方」=東方にも、神の光と栄光が届くことが預言されています。
それはまさに、日本が神のご計画の中にある特別な場所として位置づけられているという信仰的理解へとつながります。
現代の私たちと日本へのまなざし
過去の日本社会には、皇室や国歌・国旗に対して否定的な見方を広める勢力も存在しました。
特に一部の教育団体や政治的な潮流の中では、「国旗を掲げない」「国歌を歌わない」といった風潮が広まり、国家への愛や感謝、誇りを語ることすら「右翼」と批判されるような空気も生まれました。
しかし、国は「家族」と同じようなものです。
血縁でなくとも、同じ地に生き、支え合う人々とのつながりの中で、私たちは生かされています。
私がアメリカに渡ったとき、ある教会で講壇の横にアメリカ国旗が掲げられているのを見ました。それはとても自然で、感動的な光景でした。信仰と国への敬意が共にあるということが、クリスチャンの生き方にとって大切なのだと感じました。