無神論者の間違い
石川洋一牧師
「愚か者は心の中で『神はいない』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。」(詩篇14:1)
現代の学校教育は「神はいない」という無神論を正しいものとして教えています。しかし、実際には多くの学者がこれを否定し、「宇宙はデザインされている」と考えるようになっています。偶然の重なりによって進化したとする考えは、科学が進歩した今日では時代遅れの考えとして退けられています。むしろ科学の発展を通して、「神」という言葉を使わなければ説明ができない時代が来ているのです。
ノーベル賞受賞者の中山教授は、NHKの番組で「二本足で歩く遺伝子」を紹介し、その不思議さを語りました。直接「神」という言葉は使いませんでしたが、その精巧な働きはまさに意志と目的をもって設計されているようにしか見えません。
例えば、私が「母などいない」と言えば、皆さんは「牧師は頭がおかしくなった」と思うでしょう。あり得ないことだからです。卵と鶏のどちらが先かという問いも、答えは鶏です。神が最初から完成したものを創造されたからです。生命には必ず親が存在します。
私自身、母の愛を通して育てられました。戦後の貧しい時代に、母は型紙を作り、手縫いで半ズボンを仕立ててくれました。入学式には服を用意し、食べ盛りの頃には苦労して食料や教育費を賄ってくれました。しかし私は80歳になるまで、その苦労を深く理解していませんでした。母の愛は忍耐と犠牲の中で純化され、今も私の心に残っています。
神の愛も同じです。私たちはその愛を無視して生きることもできますが、それでも神は変わらず私たちを愛し、祝し、守り、導き、必要を与え続けてくださいます。無神論を唱える人でさえ、神は愛し続けてくださるのです。
死を目前にして、私は「何が最も大切か」を考えました。それは、神と人々から愛されて生きることです。牧師として神の愛と永遠のいのちを伝える務めをいただいたことは、私にとって最大の幸せです。
無神論という狭い考えの中で孤独に死んでいくのか、それとも神に感謝し、愛に生きて永遠の御国に迎えられるのか。あなたにとって価値あるのはどちらでしょうか。神の愛に満たされ、人からも愛される人生を歩み、誰をも愛せる人格へと変えられていくことが、何よりも尊いのではないでしょうか。