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心の中にある大事なお声、聞こえるかな?

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心の中にある大事なお声、聞こえるかな?
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題目:心の中にある大事なお声、聞こえるかな?

 

 

聖書:ローマ2:14–15、出エジプト20:1–2、詩篇51:10、ヘブル9:14、ヨハネ3:16、ヨハネ16:13、ガラテヤ5:22–23

 


 

 

導入

 

 

皆さん、おはようございます。

今日のテーマは「心の中にある大事なお声、聞こえるかな?」です。

 

私たちは誰もが経験することですが、誰も見ていないのに「これは良くないな」「やめたほうがいいな」と心の奥で声が響く瞬間があります。例えば道に財布が落ちているのを見つけたとき、「持ち帰っても誰にもわからない」と思う一方で、「いや、交番に届けるべきだ」と心の声が働きかけます。この声を、聖書は“良心”と呼んでいます。

 

今日は、この良心が神によってどのように与えられ、どうやって清められ、そして聖霊によって永遠のいのちへと導かれていくのかを、ご一緒に考えていきたいと思います。

 


 

 

1. 良心 ― 神が心に刻んだ律法

 

 

ローマ人への手紙2章14~15節にはこう記されています。

 

「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じることを行う場合は、律法を持たなくても、彼ら自身が自分に対する律法なのです。彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです。」

 

つまり、人は聖書を知らなくても、心の中に「神の基準」を知るセンサーを持っているということです。世界中どこに行っても「盗むのは悪い」「殺すのは悪い」と理解されています。なぜなら、神が人を造られたときに善悪を感じ取る感覚を心に植え付けてくださったからです。

 

けれども、この良心は罪や文化、社会環境、自己中心によって鈍くなり、狂ってしまうことがあります。錆びついたコンパスが正しい方向を示せなくなるように、人の良心もそのままでは頼りにならなくなってしまうのです。

 


 

 

2. 十戒が与えられた理由

 

 

だからこそ、神はイスラエルの民に「十戒」を与えられました。エジプトの奴隷から解放された民は「自由」を手にしたものの、どこへ向かうのか、何を基準に生きるのかが分からず、荒野をさまよいました。

 

出エジプト記20章2節にこうあります。

 

「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した、あなたの神、主である。」

 

十戒は、救いの条件ではなく、すでに救われた民に対して「どのように生きるか」を示す神の基準でした。「殺すな」「盗むな」「偽証するな」「むさぼるな」などの戒めは、人の良心を正しい方向へ矯正する神の指針だったのです。

 

しかし十戒は、単に外側の行動を制限する規則ではありませんでした。神が求めておられたのは、外から強制される従順ではなく、内側から正しい心を育てることでした。十戒は、人間の良心を整え、その心から「徳」と呼ばれる性質が育つための土台となったのです。

 


 

 

3. 十戒と徳 ― 内面に育つもの

 

 

十戒を守ることは、単に義務ではなく、徳を形づくる訓練となります。

 

  • 「盗むな」を守る → 誠実さや正直さが養われる

  • 「偽証するな」を守る → 真実を重んじる姿勢が深まる

  • 「むさぼるな」を守る → 節制や謙虚さが培われる

  • 「姦淫するな」を守る → 純潔や節度が鍛えられる

 

 

こうして律法を実践するうちに、人の内側に徳が育っていきます。

 

しかし、徳はあくまで人の努力によるものです。その努力は限界があり、ときには偽善に陥る危険さえあります。神が願われるのは、人間の努力で形づくる徳を超え、聖霊によって自然にあふれ出る「御霊の実」です。

 


 

 

4. 徳から御霊の実へ

 

 

ガラテヤ人への手紙5章22~23節にはこうあります。

 

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。」

 

十戒から生まれる徳は、御霊によってさらに豊かな実へと変えられます。

 

  • 「殺すな」 → 愛の実

  • 「盗むな」 → 善意・親切の実

  • 「偽証するな」 → 誠実の実

  • 「むさぼるな」「姦淫するな」 → 自制の実

  • 「神を礼拝せよ」 → 喜び・平安・寛容の実

 

 

この流れは「律法から恵みへ」「人の努力から神の賜物へ」という歩みです。十戒は人を導き、徳は人を整え、御霊の実は神のいのちを映し出します。

 


 

 

5. 良心を清めるキリスト

 

 

しかし最大の問題は、罪によって私たちの良心が汚れていることです。努力や徳だけでは、心を完全に清めることはできません。

 

ヘブル9章14節はこう語ります。

 

「キリストの血は、どれほど私たちの良心をきよめて、生ける神に仕える者とすることでしょう。」

 

イエス・キリストの十字架の血は、曇った窓を磨くように、私たちの心の奥にある良心を清めます。清められた良心には再び神の光が差し込み、聖霊の声をはっきりと聞き取れるようになります。

 


 

 

6. 永遠のいのちへの道

 

 

ヨハネ3章16節にはこうあります。

 

「神は、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 

永遠のいのちとは、死後の世界だけの話ではありません。今ここで、神との関係が回復し、新しい命を歩むことです。良心という小さな声に耳を傾け、十戒を基準にし、聖霊の導きに従うとき、私たちはまっすぐに神の命へと導かれます。

 


 

 

7. 結びと招き

 

 

神は、私たちに良心というコンパスを与え、十戒によって方向を示し、キリストの血によって心を清め、聖霊によって真理へと導いてくださいます。その先には、永遠のいのちという確かな希望があります。

 

ですから今日、私たちはもう一度心を静め、この大切な御声に耳を傾けましょう。神は今もあなたを愛し、永遠のいのちへと招いておられるのです。

聖書のお話し:中澤竜生