イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
トマスは、他の弟子達がイエス様の甦られた事を喜び「私たちは主を見た。」と言ったとき、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘の所に差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。私は、トマスの姿勢を人間的に見るなら、トマスの姿勢は好きです。
現代の日本の社会感覚は、無神論が社会の根底に流れていて、神様の存在を認めようとはしなくなっています。そこには、色々な宗教が反社会的な問題を起こし、信頼性を失っているのも一因と思います。
しかし、完全に無神を唱えているのではなく、問題があると「祈る」姿勢を取るものです。先日テレビをつけたら、今売れっ子のコメディアンたちが、両手を組んで一生懸命に祈っている姿が映像に流れてきました。それは、宝塚歌劇団に入るためのテストを受ける娘さんたちのために、合格を必死に祈る姿でした。それを見ながら「苦しい時の神頼み」という諺の如く、どうする事も出来ない時には、「神様」と叫び求める本質があるのです。「やはり彼らは人間なのだ」と思いました。
しかし、肝心のキリスト者の中には、十字架の贖いは信じるが、復活は信じられないという人が案外多いものです。
私たちは、人間として教育されてきました。また、文明が非常に発達しましたが、人の霊的、精神的力は、委縮しています。
トマスの発想は、現代社会に受け入れられるものですが、現実に甦られたイエス様にお会いしたとき、「わが主よ。我が神よ。」と叫びました。現代文明に陶酔しているクリスチャンの中には、復活を信じられない人も多くいます。イエス様は、そのようなトマスに現れて「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私のわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」とおっしゃっています。
大自然を見ると、神様の恵みに溢れていますが、不信仰な人は、その恵みを感じ取ることができないのです。
戦後の物質文化で教育を受けた者たちは、感謝することができなくなっています。例えば、神様は太陽を創られました。その恩恵がどれほどあるか計り知れませんが、感謝していません。太陽が無かったら、あなたは直ちに死んでしまいます。
物質論者は、神などいない、偶然の産物だと言います。科学者はそんなことを言ってはいけません。それは無知な赤ちゃんの言うことです。
先日、米国のアルテミス計画のオリオンは、地球から最も遠い40万6771kmに到達し、月の裏側を撮影してきました。これを偶然と言うなら笑われるでしょう。大きな目的のために、あらゆる計画と計算がなされ、準備がなされ、出来たことです。神様は、大自然という神のわざを見せて、あなたに「信じない者にならず、信じる者になりなさい。」と語られています。
著:石川洋一
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