見えない主と共に歩くエマオの物語は、絶望のただ中にある人に希望を示します。二人の弟子は、イエスさまの十字架によって望みを失い、エルサレムを離れて歩いていました。その道は挫折と失意の帰り道でした。しかしそのとき、復活の主はすでに彼らに近づき、共に歩いておられました。彼らの目はさえぎられていて気づきませんでしたが、「見えないことは不在ではない」という真理がここにあります。主は、疑いと悲しみの中にいる時にも、静かに寄り添っておられます。
主はまず彼らの言葉に耳を傾け、失望を受け止められました。そして聖書全体を通して、メシアが苦しみを経て栄光に入ることが神さまのご計画であったと解き明かされました。彼らにとって敗北であった十字架が、救いの御業であったと理解したとき、心は内に燃え始めます。状況が変わらなくても、その意味が神さまの視点で照らされるとき、人の内側に新しい力が生まれるのです。
さらに主は食卓においてパンを裂き、ご自身を現されました。みことばによる理解に加えて、交わりの中で主ははっきりと示されます。日常の中に主を招き入れるとき、私たちの目もまた開かれていきます。
そして弟子たちはすぐに立ち上がり、夜の道をエルサレムへ引き返しました。絶望の道は希望の道へと変えられたのです。主に出会うことは、方向転換をもたらし、歩みを新しくします。この物語は、私たちにも語りかけます。たとえ見えなくても主は共におられ、みことばと交わりを通して心を燃やし、新しい一歩へと導いてくださいます。エマオの道は終わりではなく、主と出会う恵みの始まりの道なのです。
著:中澤竜生
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