「一つのからだ」
エペソ4章1〜6節
4月から礼拝のスタイルが変わり、相模原教会も新しい歩みへと進み始めています。中澤先生が西仙台宣教センターとの兼任となられたこともあり、これからは牧師先生や役員だけではなく、教会に集う一人ひとりが声を合わせ、力を合わせながら、キリストのからだなる教会を支えていく歩みが求められているように感じます。
今日のテーマは、「一つのからだ」です。
教会には、本当にさまざまな人がいます。考え方も性格も、育ってきた背景も違います。時には、「どうしてあの人はああなのだろう」と感じることもあるかもしれません。しかし神さまは、そのような私たちを「バラバラな集まり」とは言わず、「一つのからだ」と呼んでくださいます。
エペソの町は、当時とても栄えた大都市でした。政治、経済、文化、商業が発展し、多くの民族や人々が行き交っていました。また、偶像礼拝も盛んで、有名なアルテミス神殿が建てられていました。そのような多様な町で、パウロは福音を宣べ伝え、多くの人々が救われました。そして、エペソの教会にはさまざまな背景を持つ人々が集まるようになったのです。
けれども、人が集まるところには違いが生まれます。最初は喜びによって一つにされていた教会にも、少しずつ考え方の違いなどによるひびが入り始めていたのかもしれません。そのような教会に向かって、パウロは獄中から「あなたがたは一つのからだです」と語りかけました。
パウロはまず、「召しにふさわしく歩みなさい」と勧めます。「歩む」とは、信仰は知識だけではなく、どのように生きるかということです。迷う時、「どちらが神さまの召しにふさわしい道なのか」を祈りながら選び取っていく歩みが大切なのです。
また、「謙遜と柔和の限りを尽くし、愛をもって互いに忍び合いなさい」とあります。しかし実際には、「どうして自分がへりくだらなければいけないのか」と思うこともあります。けれども、人間関係は「自分が正しい」という思いだけでは保たれません。家庭でも教会でも、どちらかが少しへりくだることで、関係が守られることがあります。一致は、正しさだけではなく、へりくだりによって保たれるのです。
さらにパウロは、「平和のきずなで結ばれて、御霊の一致を熱心に保ちなさい」と語ります。平和とは、ただ争いがないことではなく、互いの関係がしっかり結ばれていることです。教会にはすでに、キリストによる一致が与えられています。それを壊すことは簡単ですが、保ち続けるためには祈りと努力が必要です。
そして4節から6節には、「一つのからだ、一つの御霊、一つの望み、一人の主、一つの信仰、一つのバプテスマ」と、「一つ」という言葉が繰り返されます。私たちの一致は、感情や好みによるものではなく、神さまご自身という土台によって支えられているのです。
一つのからだには、目や手や足など、それぞれ違う役割があります。同じ部分ばかりでは、からだは成り立ちません。違いがあるからこそ、お互いを必要とし合うことができるのです。
また、教会はオーケストラにも似ています。バイオリン、フルート、トランペット、打楽器など、それぞれ違う音色を持っています。しかし、互いの音を聞きながら演奏することで、美しいハーモニーが生まれます。神さまが指揮者であり、私たちはその一つ一つの楽器なのです。
私たちは不完全で、愛したくても愛せない時や、赦したくても赦せない時があります。しかし、そのような私たちを、神さまはキリストにあって一つのからだとしてくださっています。その恵みに支えられながら、これからも互いに愛し合い、支え合いながら、「一つのからだ」として歩んでまいりましょう。
図師潤子
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