新しく生まれる

新しく生まれる

ヨハネの福音書3章1~8節

はじめに

ヨハネの福音書は、イエス様が神の子キリストであることを信じ、その名によっていのちを得るために書かれました(ヨハネ20章31節)。今日の箇所では、宗教的指導者ニコデモとイエス様との対話を通して、「新しく生まれる」ことの大切さが教えられています。

1.宗教的に立派でも、新しく生まれる必要がある

ニコデモはパリサイ人であり、ユダヤ人の指導者でした。聖書をよく学び、律法を守り、人々から尊敬されていた人物です。しかしイエス様は、そのニコデモに「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と語られました。

聖書の知識や立場、宗教的な行いだけでは、人は救われません。教会に通うこと、洗礼を受けること、奉仕をすることは大切ですが、それだけで神様との生きた関係が生まれるのではありません。

神様が求めておられるのは、外側の宗教的な姿ではなく、私たちの内側が神様によって新しく造り変えられることです。イエス様は今日、私たちにも「あなたは新しく生まれていますか」と問いかけておられます。

2.新しく生まれるとは、聖霊によって新しい命をいただくこと

ニコデモは、「新しく生まれる」という言葉を、もう一度母の胎から生まれることだと考えました。しかし、イエス様が語られたのは、肉体の誕生ではなく、霊の誕生でした。

イエス様は、「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません」と語られました。これは、罪を悔い改めて神様に立ち返り、聖霊によって新しい命をいただくことを意味しています。

新しく生まれるとは、自分の努力で立派な人間になることではありません。また、外側だけを良く見せることでもありません。神様が私たちの心に働き、内側から新しく造り変えてくださることです。

クリスチャンになるとは、単に宗教を変えることではありません。イエス・キリストを信じ、聖霊が私たちの内に住んでくださり、神様の子どもとして新しい人生を歩み始めることなのです。

3.聖霊は目に見えなくても、確かに働かれる

イエス様は、聖霊の働きを風にたとえられました。風は目に見えませんが、木の葉が揺れ、雲が流れ、頬に感じることで、その存在を知ることができます。

同じように、聖霊も目で見ることはできません。しかし、聖霊が働かれると、人の心と人生は確かに変えられます。怒りに支配されていた人が人を赦すようになり、不安の中にいた人が神様に希望を見いだし、自己中心であった人が人を愛し、仕えるようになります。

イエス様が捕らえられたとき、弟子たちは恐れて逃げました。しかし、聖霊を受けた後、彼らは命を懸けてイエス様を証しする者となりました。また、教会を迫害していたパウロも、福音を世界に伝える宣教者へと変えられました。

このように、聖霊は今も人に新しい命を与え、その人生を造り変えてくださるのです。

私たちへの適用

私たちは、「教会に来ているから大丈夫」「洗礼を受けているから安心」「奉仕をしているから十分だ」と考えてしまうことがあります。しかし、信仰とは、宗教的な習慣をこなすことではなく、神様との生きた交わりです。

新しく生まれた人は、神様を遠くにおられる方ではなく、「天のお父様」として信頼するようになります。失敗したときには悔い改め、迷ったときには御言葉に耳を傾け、不安なときには祈り、喜びのときには感謝をささげます。

新しく生まれたからといって、すぐに完全な人になるわけではありません。赤ちゃんが少しずつ成長するように、信仰者も聖霊に助けられながら、少しずつキリストに似た者へと変えられていきます。

今日、私たちも自分自身に問いかけたいと思います。

「私は宗教的な生活をしているだけだろうか。それとも、神様から新しい命をいただき、イエス様とともに歩んでいるだろうか。」

神様は私たちを責めるためではなく、新しい命へ招くために、この言葉を語っておられます。

まとめ

1.宗教的に立派であっても、新しく生まれる必要があります。

2.新しく生まれるとは、聖霊によって新しい命をいただくことです。

3.聖霊は目に見えなくても、確かに人の心と人生を変えてくださいます。

イエス様は今日も、「あなたは新しく生まれなければならない」と語っておられます。イエス様を信じ、聖霊によって与えられる新しい命を受け取り、神様との生きた関係の中を歩んでまいりましょう。